悲しいことがあった。
なぜだろう。
その中心点からダクダクに溢れ出してくることもあれば、
そのブラックホールにどんどん吸い取られてしまうようなこともある。
心って不思議だね。
ハートから溢れてくるのかな。
マインドが吸い取っていくのかな。
今は考えれば考えるほどに、その心細さというか、いたたまれなさというか、みぞおちの辺りがぽっこりとくぼんでいくのを体感しているよ。
その心細さの凹みってね、ほんのわずかな痛みをともなうような感覚で、僕はいつも苦しい。
でもそれって食べることで誤魔化せちゃったりもするんだけどね。
膨満感でぽっこりと膨らませてやったら、その間はそれを感じなくなるんだ。
それで僕は今までずっと、その凹みを見ないように見ないように、自分の食べたい量以上の食べ物をおそらく詰め込んできたんだよ。
この正体はなんなのかな。
ずっとずっと流れずにある滞り。
その滞りが、僕の心細さを補ってる。
食欲なんてほんとにずっと15年くらい少なくってね。
それでも頭で食べなきゃとか思って食べてた。
お腹が減ってるのかいっぱいなのか麻痺したような時には、なんだかさらに余計に食い込んじゃってたな。
不感になって、楽になったような気もしてた。
その時はそれしかなかったんだろうね。
でも今は極限までお腹を凹ませた状態で心と対峙したい。空腹と心に空いた穴を一緒にしたくないんだ。
ただ、それって一週間の断食でもできなかったことなんだけど。
あー、どうなんだろ?
心細さの正体を見つければ流れるのかな?
流れればその正体がわかるのかな?
言いたいことが言えなかった自分?
いや、それはもう言えるようになった。
やらされている自分?
いや、もう自分で選んでいるよ。
正しくなきゃダメで間違うことを恐れる自分?
正しいとか間違ってるとかいう世界は卒業したつもりだし。
考えなくてもいいってことかな?
うん、そうだね。
ドツボに落ち続けたあの時と違って、安心なフィーリングがここに湧き続けてるから。
吸い上げられても湧き出す循環の中にいられる。
そんな気がしてきたよ。
この体の不良部分が完治したら無敵だという思いと、このままこそが自分そのものと受け入れていくのも悪くないねという思い。
そして循環が見えると、マインドも悪くないな。
昇華し、消化するためのフィルターなのかもしれないななんて思っちゃった。
純度の高いもの意外は、マインドのフィルターに引っかかる~、みたいな・・・。
妄想だね(笑)
さ、寝ようかな。
山地 弘純
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